1960年にプロとして活動していくこととなった。同年、Don ByasとMonte Carloで共演した。1962年にイギリスに戻ってからはTabby Hayesのグループに参加した。1965年に自分のバンドを率いており、1Gyroscopeもそれに含まれるが、1968年からはベースのJeff ClyneとドラマーのTony Oetとのトリオで活動した。ボーカルとの共演は1969年のHelen Merrillが最初であり、これは1990年代に彼女がヨーロッパツアーをする時まで続いた。1969年から1972年はPhil WoodsのEuropian Rhythm Machineでツアーを行った。Phil Woodsとは10枚ものアルバムを残している。1973-4年ごろにはNucleusのメンバーも務めた。同時に、1960-70年代にはRonnie Scott’s Jazz Clubの
ハウスピアニスト務めた。スイス人ミュージシャンであるGeorge Gruntzによる6人のキーボードプレイヤーによるグループPiano
Conclave (1973-75)、ドラマーJohn Stevensとのフリージャズでの共演 (1977, 1982)も果たした。
中年頃より、専らヨーロッパ主要国で演奏した。Allan HaldsworthやHenri Texier、Didier Lockwoodらとも共演している。1980年頃からよくソロで演奏し、同時期から教育にも携わるようになった。1985年にはHaldsworthとともに日本ツアーを行なった。
2001年にポップスを取り扱った"Experiments with POPs"を発表した。
健康上の問題のため、2005年に演奏活動を休止した。2011年11月6日にイギリスのCambridgeshire、Elyで亡くなった。
Reference