Ray Draper
Raymond Allen Draperは1940年8月3日にNew York Cityに生まれた。1950年代半ばまでManhattan School of Musicに通った。

1957年、16歳の時に初リーダーアルバム"Tuba Sounds"を録音し、翌年には2作目を録音した。

薬 物使用のため1960年代後半まで刑務所で過ごし、出所後はジャズロック・フュージョンのバンドを結成した。これはMiles Davisの"Bitches Brew"よりも2年早いことだった。バンドメンバーにはGeorge Bohannon、Hadley Caliman、John Duke、Paul Lagos、Tom Trujillらが参加していた。ハリウッドのWhisky a Go Goで初ライブを行った後は、多くのレコード会社からのオファーを受け、数年に渡り予定が埋まってしまったという。

若いメンバーTom Trujillo、Chuck Goodnを残しベテランメンバーがバンドを去ったころ、Ray Draperは再びヘロインを使用し始めた。新しいメンバーにはDon Sleet、Ernie Wattsを迎えた。その後2年間、バンドメンバーの入れ替わりを経て、Paul Lagosがバンドに戻り、Richard Aplan、Phil Wood、Ron Johnsonをメンバーに迎えた。このころドラッグを絶ったという。新しいグループはRed Beans and Riceという名前になり、これはRay Draperの妻Annの得意料理にちなんだという。"Red Beans and Rice Featuring Sparerib Ray Draper"というレコードをEpic Recordsに録音したが、Ray DraperとマネージャーがレコードのカバーにRay Draperの写真だけを載せたとたんにメンバー全員がバンドをやめ、Ray Draperだけが残されることとなった。以後、再びヘロインを使うようになり、たまに演奏したりレコーディングするだけで、バンドを結成しようとしなく なった。

再びドラッグを絶つためCaliforniaからNew Yorkへ移り、そこで再婚し、2人を設けた。このころ作曲を続けていた。

1982 年11月1日、銀行から出てきたところをキッズ・ギャングに銃を突き付けられた。金銭を渡した後、13歳のギャング・リーダーに発砲され、亡くなった。死 後、Ray Draperのアタッシュケースからドラッグを絶ち作曲稼業を続けていたことが明らかになったという。


参考文献Wikipedia (http://en.wikipedia.org/wiki/Ray_Draper)

New Jazz 8228
Red Beans and Rice featuring Ray Draper

サイドメン作
Jackie McLean "Strange Blues"
Archie Shepp "There's a Trumpet in my Soul"