Don Cherry

1936年11月18日にOklahoma Cityに生まれた。父は黒人、母はインディアンのチョクトー族出身であり、どちらもMuskogee出身であった。父はバーを経営しており、Don Cherryとその妹は、歩けるようになったころにはすでに芸を身に着けていたという(踊りを踊ったりしていたらしい)。
1940年にLos Angelesに移住し、父はPlantation clubでバーテンダーを務め、そこではJimme Lunceford、Billy Ecstine、Artie Shawといったビッグバンドが演奏していた。
ピアノのレッスンを受けたのち、ジュニアハイスクールではコルネットを始めた。1950年には友人のサックスプレイヤーGeorge Newmanとともにコンボを結成した。そのグループには後に有名になるBilly HigginsやLawrence Marable、Harper Cosbyが所属していた。高校時代にはFrank MorganやArt Farmer、Wardell Gray、Hampton Hawesらを指導していたことでも知られるSamuel Brownのもとで勉強していた。近所に住んでいたOrnette Colemanの妻Jenieより、当時の近代的なジャズに触れることができ、Ornette自身にも出会うこととなった。その時点でJames Clayからの仕事を得ており、十分にプロとして活動していた。西海岸やカナダにツアーを行いLos Angelesに戻ってきた後、James ClayとDon CherryはOrnette Colemanと勉強することを始めた。Don CherryのOrnette Colemanとの関係性はOrnette ColemanがVancouverで初めてジャズを手掛けるようになった時と初レコーディングの際に強まっていった。
その後も6年くらいはOrnette Colemanの世界の一部を担うこととなったが、その後にSonny Rollinsとの共演、ヨーロッパへの移住を経て、ヨーロッパの音楽シーンに認められたほか、スカンジナビアから北アフリカまで精力的にツアーを行っ た。
1965年にアルバム"Complete Communion"を録音した。このアルバムにはDon Cherryのヨーロッパ時代の経験が詰まっているという評価がされている。また、ブエノスアイレス出身のサックスプレイヤーであるGato Barbieriが参加しているが、彼とは1963年にSonny Rollinsとの共演がきっかけであったという(レコーディング当時はイタリア在住であった)。

東海岸のシーンにはOrnette Colemanのバンドメンバーとして始めて参加し、当初はバンドの一員という見られ方であったらしいが、Sonny Rollinsらとの共演を契機に、徐々に独自性を認められるようになっていったという。

Reference
1. Liner Notes (Nat Hentoff. Complete Communion / 22673, Blue Note, 1965

Compositions

As a leader
Complete Communion / 22673, Blue Note, 1965

As a sideman