Herbie Nichols

Herbie Nicholsは1919年1月3日にNew York、ManhattanはSan Julian HillでSt. KittsとTrinidad出身の両親のもとに生まれ、Harlemで育った。生涯を通してDixieland musicianとして活動し、意に反する音楽的に不遇な人生を送ったミュージシャンである。

最も初期の作品は1937年にRoyal Baronsと共演したものがある。

1941年に徴兵のため歩兵隊に入隊し、戦後は様々な仕事を手掛けるようになり、Mary Lou WilliamsがHerbie Nicholsの楽曲を取り上げたこともあり、知られるようになっていった。1947年にAlfred Lionを説得し、ついには1955年から1956年にかけてBlue Noteに録音を残した。これは3つのアルバムにまとめられたが、お蔵入りとなったものもあった(これらは1980年代に商品化された)。1957年に最後の作品をBethlehem Recordsに録音した。

1963年4月12日、白血病のためNew Yorkで亡くなった。

楽曲としてはLady Sings the Bluesが最もよく知られ評価を受けているが、その他にも西インドやDixieland Jazzなどの要素を取り込んだ楽曲が多数あり、これらはHerbie Nicholsの死後に評価を受けることとなった。これらを中心に演奏するHerbie Nichols Projectというバンドが存在する。

Minton’s playhouseの空気が合わなかったという話、Thelonious Monkと親交があったが軽視されていたという話はよく知られる。

Herbie Nicholsの生涯については”Herbie Nichols: A Jazzist’s Life”という伝記が出版されている。

参考文献:Wikipedia (http://en.wikipedia.org/wiki/Herbie_Nichols)


herbie nichols trio

CD

1,the gig 2,house party starting
3,chit-chitting 4,the lady sings the blues
5,terpsichore 6,spinning song
7,query 8,wildflower
9,hangover triangle 10,mine

piano : herbie nichols / bass al mckibbon, teddy kotick / drums : max roach

recorded on July 29 and August 7,1955 and April 19, 1956 / blue note

 

the third world