Walter Norris
Walter Norrisは1931年12月27日にArkansas州Little Rockに生まれた。ピアノは母に習い、その後、13年もの間、地元の教会オルガン奏者であるJohn Summersより手ほどきを受けた。
プ ロとして初めて活動したのはHoward Williams Bandであり、Little Rockで高校時代に所属した。高校卒業後、短い期間Mose Allisonと活動し、その後米空軍に2年かん所属した。除隊後、Texas州HoustonでJimmy Fordと活動し、Los angelesに移ってからはWest Coast Jazz界で重要な存在となった。Los Angeles時代にはJack SheldonのファーストアルバムやOrnette Colemanのファーストアルバム"Something Else!" (1958, Contemporary Records)にも参加している。
1960 年に、Walter NorrisはNew York Cityに移り、Billy BeanとHal Gaylorとともにトリオを結成、アルバムを作成する("The Trio", 1961)。アルバムの作成にあたり、それぞれの家族と共に一緒に住める郊外の広い家を用意し、4ヶ月に渡り日々リハーサルを重ねたという。1963年に はNew York City Playboy Clubで仕事を得て、同クラブのディレクターにもなり、1970年まで続けた。1970年から1974年の間はフリーランスでNew York周辺で活動した。1974年にRoland Hannaの代わりにThad Jones-Mel Lewis Bandに参加した。Scandinviaのツアー後、ヨーロッパに残り、George Mrazとのデュオアルバムを録音した("Drifting")。
ア メリカに帰還後、1976年にCharles Mingus Quintetに参加した。本人によると、演奏直前の更衣室で神経質になっているCharles Mingusについ"Charlie"と声をかけてしまい、怒らせてしまったそうである。その際、ステージマネージャーが部屋に入り、すぐに演奏するよう 言ったため、その場は喧嘩にならずに済んだという。Walter Norrisはバンドをやめると、ドイツのBerlinに仕事を得て、Sender Freies Berlin-Orchestraのピアニストとなった。1977年1月にBerlinに引っ越し、以後は定住した。本人いわく、ヨーロッパに引っ越した 一番の原因はCharles Mingusが怖かったことらしい。
1990 年、Concord Recordsと5枚のアルバムの契約を交わした。これらのアルバムはどれも好評を博した("Sunburst", "Hues of Blues", "Live at Maybeck Recital Hall")。1998年、レコード会社を介さずに自費での録音をNew YorkでMike Richmondと行った("From Another Star")。
2005 年に自伝である"In Search of Musical Perfection"、音楽教則本である"Essentials for Pianist Improvisers"が出版された。2006年にBerlinの自宅でベーシストであるPutter Smithの演奏を録音した。2010年にChuck Dodsonの指揮のもと、ドキュメンタリーフィルムが作成された。
2011年10月29日にBerlinの自宅で妻Kirstenに看取られ亡くなった。子どもには、前妻であるMandyとの間にDinahとDeliaの2人がおり、孫にEmilyとHollyがいる。

参考文献: Wikipedia (http://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Norris)
, The Trio (Liner Notes. Jordi Pujol, Jim Hall)

The Trio
こ のアルバム録音後、BassのHal GaylorはRalph Sharonのバンドに参加、Benny Goodmanのバンドに在籍しヨーロッパのツアーに参加するなど活躍の場に恵まれますが、ウイルス性疾患により右耳が聞こえなくなり、1973年にやむ なく音楽界を去ることになります。San Franciscoで医師にかかった際、内耳がダメになっていると言われたといいます。十分な音が聞こえないことから、もはや仕事として続けていけないと 決心します。その芸術的才能を絵画に活かそうと、設計図や建築図の作成に取り組み、ジャズへの愛情からか、多数の肖像画を残したことも知られています。
Billy Beanは70年代前半に故郷のPhiladelphiaに帰り、2012年2月に亡くなりました。酒に溺れ、演奏できなくなったといいます。全盛期は指 折り数えられるほどの腕前であり、Larry Coryellは彼を称えその名もBilly Beanという曲を作曲しています。


参考文献: The Trio (Liner Notes. Jordi Pujol, Jim Hall)
Drifting