Tadd Dameron

1917年2月21日、Ohio州ClevelandにTadley Ewing Peakeとして生まれた。両親が離婚し、母親がAdolphus Dameronという男性と再婚したため、Dameron姓となった。兄Ceasarは音楽家、Taddは歯科医になるべく育てられ、Taddは音楽をす ることを禁じられるが、独学で音楽を学び、兄とともに音楽活動を行っていた。映画が好きな少年だったという。1930年代、高校時代にFreddie Websterのバンドのピアニストとして活動を開始し、同時期にはアレンジも手掛けていた。Good BaitやStay on Itなどの名曲もこのころ作曲されたという。高校卒業後は両親の勧めでOberlin Collageの医学部に入ったが、解剖が合わずにやめた(という逸話がある)。

Kansas Cityに移り住み落ち着いたあとはCount Basieなどの楽団に楽譜を提供したりもしていた。Charlie ParkerともKansasで出会っている。第二次世界大戦勃発後は軍需工場に働くことを余儀なくされ、終戦まではジャズシーンから一時的に身を引くことになった。

終戦前の1944年にNew Yorkに進出した。1945年にDizzy Gillespie Big Bandのアレンジを担当したりと、ピアニストとしてよりも作曲家やアレンジャーとしての活動で注目を浴びていた。一方でこのころの演奏は録音として残っておらず、不本意な時代であったと言われる。1946年にかけて"Hot House"や"If You Could See Me Now"などの名曲を発表しており、Billy Ecstine楽団のアレンジを手掛けるなど名アレンジャーとの呼び声が高くなっていた。当時はMary Lou Williamsの家を訪ねてはThelonious Monkとお互いの演奏に触発されともに研鑽を積んでいたという。1949年になるとジャズの流れがバップからハードバップやクールジャズに変わり、Miles Davisとともにヨーロッパでの巡業を行っていた(パリ国際ジャズフェスティバルでの演奏は"In Paris Festival International de Jazz"という作品として録音が残っている)。

1951年に帰国後はBenny GolsonやPhilly Joe Jonesが在籍していたBullmoose Jackson楽団に所属していたが、音楽が合わず、Philly Joe JonesやBenny Golson、Clifford Brownらとバンドを組み活動を開始するも仕事をうまく得られなかった。同時期よりTadd Dameronは麻薬に依存した生活を送るようになった。"The Scene is Clean"は麻薬と決別を誓う曲だと言われるが、以後も麻薬を断つことはできていなかったという。1956年に"Fontanebleau"、 "Mating Call"を録音するが、コマーシャルの判断により発表を遅らせられたり名義を差し替えられることになる。1958年に麻薬使用のため有罪判決をうけ、 Kentucky州Lexingtonにある麻薬患者更生施設であるThe Federal Narcotics Hospitalに入所する。施設内では固定メンバーでの演奏が困難であったため、一般労働を選んだという。具体的には施設の近所であるCrawford 家でコックとして働き、同家の親切により自由にピアノの練習もできていた。出所前にはLiversideより仕事の依頼を受け、所内で作曲活動を再開した (Smooth as the Windは所内で作曲された)。

1961年に刑期を終えてNew Yorkに戻り、"Smooth as the Wind"に続きラストレコーディングとなる"Magic Touch"を録音した。Tadd Dameronは癌を患っており、すでに末期であった1964年11月8日に入院先からの許可を得てFive Spotで最後のライブを行った。1965年3月8日に夫人Mia Dameronに看取られ亡くなった。享年48歳だった。葬儀には兄や母の他、Billy TaylorやRoy Haynesなど多数のミュージシャンが出席し、葬儀のほとんどの時間を演奏が占めたという。Benny GolsonがThe Squirrelを演奏したとNew York Timesに掲載された。

参考:Wikipedia (http://en.wikipedia.org/wiki/Tadd_Dameron), INTERLUDE by 寺井珠重 (http://jazzclub-overseas.com/blog/tamae/2008/10/post-33.html)


In Paris Festival International de Jazz

1. Rifftide, 2. Good Bait, 3. Don't Blame Me, 4. Lady Bird, 5. Wah-Hoo!, 6. Allen's Alley, 7. Embraceable You, 8. Ornithology, 9. All the Things You Are

Recorded May 8, 1949 - May 11, 1949

Fontainebleau

1. Fontainebleau 2. Delirium 3. Scene Is Clean 4. Flossie Lou 5. Bula-Beige

trumpet: Kenny Dorham, trombone: Henry Coker, baritone sax: Cecil Payne, alto sax: Sahib Shihab, tenor sax: Joe Alexander, piano: Tadd Dameron, bass: John Simmons, drums: Shadow Wilson

Recorded March 9, 1956 at Van Gelder Studio, Hackensack. Prestige 

mating call / tadd dameron with john coltrane

1, Mating Call 2, Gnid 3,Soultrane 4, On a Misty Night 5, Romas 6, Super Jet

tenor sax: John Coltrane, bass:John Simmons, drums:Philly Joe Jones

Recorded in Hackensack, Nov 1956

magic touch

1. On a Misty Night, 2. Listen Now!, 3. Just Plain Talkin', 4. If You Could See Me Now, 5. Our Delight, 6. Dial B for Beauty, 7. Look, Stop and Listen, 8. Bevan's Birthday, 9. You're a Joy, 10. Swift as the Wind

Piano, Arranger, Conductor: Tadd Dameron, Trumpet: Clark Terry, Trumpet: Ernie Royal, Trumpet: Charlie Shavers, Trumpet: Joe Wilder, Trombone: Jimmy Cleveland, Trombone: Britt Woodman, French Horn: Julius Watkins, Alto Sax, Flute: Jerry Dodgion, Alto Sax, Flute: Leo Wright, Tenor Sax, Flute: Jerome Richardson, Tenor Sax: Johnny Griffin, Baritone Sax: Tate Houston, Piano: Bill Evans, Bass: Ron Carter, Bass: George Duvivier, Drums: Philly Joe Jones, Vocals: Barbara Winfield

Recorded February-April, 1962 in New York. Riverside