Johnny Acea
John Adriano Aceaは1917年9月11日にキューバ人の父Adriano AceaとVirginia出身の母Leona Aceaのもと、Pennsylvania州Philadelphiaで生まれた。6人兄弟であり、生下時よりリウマチ熱を患っており、幼少を過ぎて生き長らえることはな いだろうと言われていた(末の妹Annaもリウマチ熱であった)。夜通しのジャムセッションなどできるはずもなかったが、非常によく上達し、ミュージシャンとして知られる中で"Johnny Acey"と呼ばれるようになった。幼少のことからトランペットやサックスなども手掛けたが、ピアノの才能にいち早く目覚めたという。1946年の兵役後はピアノに転向した。
Gloria Lynne、Diana Washington、Ruth Brown、Patti Pageといった著名なミュージシャンと録音する機会を得ていた一方で、同時期に陸軍でコルネットを演奏したり、Don Bagleyのグループでサックスを演奏したりもした。
1940年代に入るとNew Yorkへ移1947年から1948年はEddie "Lockjaw" Davisのバンドで演奏した。1949年はDizzy Gillespieのバンドに在籍し、1950年にはIllinois Jacquetのバンドに参加した。1951年にはJames Moodyとのレコーディング、1954年から1957年にはJoe Newmanと活動した。Illinois JacquetはレコーディングでAceaの楽曲であるLittle Jeffを採用したが、そのお礼としてか、子供のミドルネームとしてJacquetを付けたという。
晩年はセッション・ミュージシャンとして活動した。
1963年7月25日に亡くなった。


Reference
1. Wikipedia (https://en.wikipedia.org/wiki/John_Adriano_Acea)
2. Allmusic (http://www.allmusic.com/artist/john-johnny-adriano-acea-mn0000652234)

Compositions
Nice 'N' Greasy (co-composer)

As a leader

As a sideman
Groovin' with Jacquet / Illinois Jacquet, Clef, 1956
Rolin' with Leo / Leo Parker, Blue Note 1961
The Latin Bit / Grant Green, Blue Note 1962